”一人交換日記”

「しなやかな闘い ポーランド女性作家と映像 —1970年代から現在へ」
2019/9/27

一部感想、連想

 

 

▼アグニエシュカ・ポルスカ《セイレーンに尋ねよ》, 2017


目と口がたくさんついてる人が語る
唇の動きがグロテスクに感じる
「私の過去は全部なかったことにされた」
「洗礼のとき」
ポーランドの歴史に関わることだろうと思った、
ポーランドは周辺の国から繰り返し侵攻され支配され
その度に文化が大きく変わり色々な派閥をつくりだし
ポーランド人の間でも対立し合ったという

アイデンティティの不確定さ』『社会の健忘症』(パンフレットから)

 

 


▼ヨアンナ・ライコフスカ《バシャ》, 2009

 

川に入っていくシーンで、ヴァージニア・ウルフについての映画(「めぐりあう時間たち」)での入水シーンを思い出す

ドキュメンタリか劇映画か曖昧、
ズボンから下が水浸しになった彼女を人々は振り返って見るが
濡れた割には意外と色が変わらないのでそんなに気付かなくないか?という気もした
が、むしろ人々が見ていたのは彼女の服
(あのパジャマ様の服はあの街で「病院のもの」として見知られていたのだろうか?)だったのだろうか


善意のおばさんが声をかけてくる、「恐れないで。なにも恐れないで」繰り返す。怖い。
おばさんの顎の部分を執拗に映し出す、脂肪、老いた肌と産毛、どんな意味が、
警察が来る、おばさんに見守られながら彼女は乗せられる、なにをしたっての?
街をぶらついていたので逮捕しますって?

 


精神病院かと思ったら認知症の作者の母をモチーフにした作品だった
てことは老人施設?でも認知症でも精神病院なのかな?
半フィクション、半ドキュメンタリ的手法
バッグの中の隠しカメラだったから下からのアングルだっただけで、
おばさんの肥大化した顎の下の肉を撮ろうとしていたわけではないらしかった 笑
ほんと怖かったなあ
また、連行されたのでなく一応「街の人が心配して保護された」という、
ことにはなってるけど、 、、、、

 

 

 

▼アンナ・モルスカ《ヘカトゥーム》, 2011


泡泡泡泡
わたしもやってみたかったんだ!ある空間を泡で満たす
でもあのビニールハウスもう農業には使えないよなああんな石鹸だらけにして…笑

でも朽ちた温室には浪漫ある

視覚的な快楽ない場合不可解な行動をずっと見つめるのなかなか体力いる
どうして鞭?エアーベッド?土の上で?革の鎧、その格好は?鞭から身を守るため?

 

 

 

▼カタジナ・コズィラ《罪と罰


爆発四散
どこの部屋にいてもこの映像の銃声と爆発音が聞こえてきて相当体力削られた

「戦闘を趣味とする人たちを取材」(パンフから)
! そんなのあるの?ほとんど映画とか軍の訓練のレベルで爆発してたけど…
でも確かにちょっとやってみたくもある 火炎放射で建物を焼き ダイナマイトで車を吹き飛ばす

 

 

 


▼ヴェロニカ・ヴィソツカ《すべての問題の果て/ムペドツァンハモ》, 2018


あの巨大なスクリーンだからこそ臨場的に映し出される
巨大な服の山 それはほとんど『ゴミ』の様相を呈している

言葉を尽くすよりはるかに圧倒的な、直接的な

ジンバブエに日々ヨーロッパから大量に送りつけられてくる衣服」(パンフから)
「過剰な生産と消費のサイクル」

 

 

 

 


▼アリツァイア・ロガルスカ《夢見る革命》


実際に活動する社会運動家たちが普段の理性や思い込みを外して語るために
睡眠術を受けながら語るパフォーマンス

スマホがなくて一人でいる人がいなくてみんな誰かと話してる」
別にひとりでいたい人はひとりでいてもいいんでは…
確かに「よく聞く空想的理想、言葉の上だけの」って感じ

「表面的なイデオロギーの対立を越えて、理想的な未来を具体的に思い描くことの難しさ」(パンフから)