”一人交換日記”

 

 

 

 「なぜ、この世には大勢の人が選ばない選択があって、またそれが支持されることもないのか?」
 質問をするということは、この社会がどんなやり方で動こうとしているのか理解できる、あるいは理解まではできなくとも、気づくことのできる最適な方法だ。なぜ、子どものころに右手を使うように教育されるのか。(中略)入国審査カードはなぜ二つの性別のうちひとつを選ぶようになっているのか。選ばなかったり、選ぶことを拒否する人は、不利益がもたらされることをなぜ恐れなければならないのか。
 思いのほか多くの人たちが質問することを恐れていて、実際に質問してこなかったせいで、たくさんの問題が生まれているように思う。二〇一四年に、韓国であの大惨事 「セウォル号」沈没事故が起きたとき、学生たちは「じっとしているように」という船内アナウンスを聞いて、沈んでゆく船の中で次のアナウンスを待ちながら死んでいった。この日以降、わたし自身を含む、多くの人たちが「じっとしているように」という言葉が自分の身の安全を守ってはくれないことを痛感した。

 三十三年、見て暮らしてきたこの韓国社会が、質問しづらい場所であることはそもそもはじめからわかっていた。学生のときも、先生をやっているときも、同じだった。声にして問いただすことが怖くて、恥ずかしくて、おかしなことだと習って、そう感じながら暮らしてきた。だからわたしは、多くの質問を心の中で投げかけて、一人で答えを探すばかりだった。わたしの中には、いつだって問いかけたいことがあったし、今、よ
うやくそれらを少しずつ声に出して質問している。

 

 


イ・ラン『悲しくてかっこいい人』日本語版あとがきから