”一人交換日記”

2019/7/8 合わせられない 相手の話を聞こうとできない
 
 
役者に求められてるのは
そのお芝居の中でその人物はどういう役割を果たしてるか把握すること
そのお芝居で作家が何を伝えたいのか理解すること
その上で「求められた」演技をすること
で、
自分がしたいように勝手に演じるとか
格好良く見られたいから格好つけるとか
そういうことする演じ手は「求められてない」んだ
困っちゃうよね、そんな演者がいたら
 
 
まったく文脈を読み取ろうとかしてなかったし
役割の理解もできてなかったし
劇全体の方向性も同意しかねていて
私はただあそこで私をやっていただけだった
ただ反抗している姿を見せたいだけだった
変化はなかった 私はただの反抗児のままだった
 
それが『私』なのだし仕方ないのだろうか
 
劇団のカラーとか主義信条が合わなかっただけなのだろうか
(関心は近しかったと思うのだけれど、アプローチは確かに違うと感じる部分ははじめからあったけど)
 
 
***
 
 
8年前の劇のときも
プロの先輩が言っていたっていう「演技は上手いけど」の続きに何が来るのかをずっと想像していて
人間性が駄目なんだろうな」の具体的なことがわかってなかったけど
「協調性がない」「相手(この場合は脚本)の意図を読み取ろうという気がない」
「文脈、ストーリー、役割がわかっていない」ってことだったんだと
 
「(あなたの演技は劇の流れからすると)突拍子なかったけど、あの演技をそのまま放置したのなら演出家の意図」
と観た人から言われたけど、たぶん私がなんにも考えてない(ストーリー把握が極端に苦手だから理解できなかった)のを、端役である私に一から説明する時間も余裕もない、自分から理解しようと努めてくれない人に話すのは時間の無駄、頑固だから説明しても聞かないだろう、とかで最初からたぶん演出家は諦めていたんだと思う、
 
いくら多少上手かろうがなんでその人物がその場面でそういうことを言うのかわかってなかったら
意図がわかってなかったら伝わる内容はまったく違ったものになってしまう
 
 
ので演じ手は(相当サポートが充実していない限り)できないんだろうなーと思う
「人生の中ではいつも演者。」って言ってたの誰だっけ。笑(うぜえって言われてたな 笑)
人生の中で演じていくだけで十分かなあ。最低限会話の通じる人のふりを。マジョリティのふりを。
もう舞台に立ってみんなから注目を浴びたいとか特に思わないしな。
それは満足したからかと思ってたけど、これ以上もう失敗したくないからってことなんだろうか。