”一人交換日記”

2019/7/8 らかん入門4 めもめもめーも
 
 
自由連想法』『分析のための技法』
『ある作家の「心に浮かんだことをすべて書き記す」という言葉も遠いヒントになってはいる』
面白そう
あっでも既に時々やってるな。最近の「死にたい」と「生産性」はそれで書いたな
 
『患者から「せんせい、いちいち話の腰を折らないで、もっとおれの好きに話させてくんないかな(大意)」と文句を言われて』
わかる。でもそれしてたら無限に話せちゃうのと、せんせいには無限の時間がないこともわかる。
でもいつも誘導されてるなって違和感を感じるのも事実
 
 
『しょっちゅう失敗もする。で、失敗を転じて素晴らしい創造性を発揮する。まさに失敗の天才』
ふむ
 
 
『実際のところ、意味やイメージは言葉の副産物なんだ。このへん、いつかくわしく説明するから、今はそうなんだと理解しておいて。』
言葉主義。言葉が最初にある主義。言葉がなかった頃には人間は戻れないのかあ。
nonverbalな表現の類(絵画、音楽、舞踏、…)はどう説明するんだろう
意味はともかくイメージはある気がするけど(ここで述べられるイメージってなにを指してるんだろう)
私知ってる、いつか説明するねって言った先生、だいたいしないよね。
(まあ私がその伏線を忘れてるだけかもしんないけど。)
(気になってる、一番熱量が高いときに説明してくんないと、興味失っちゃうんだー)
(だからいちいち言葉調べないと進めないし後からでは無理なのね)
 
 
ん、この文章、どこまでがラカンの話なんだろう
シニフィアン、は一般に精神分析の分野で使われてる概念なのかな
→『今回はフロイトの話ばかりだった』とのこと
 
 
『ここで大事なことは、シニフィアン(音)とシニフィエ(イメージ)の結びつきには、なんの必然性もないこと』
そうなん???いかにもそれっぽい!って響きのする語とかあるけど、、
(うーんそれは言語のほうの考え方なのかな?)(立場の違いなのかな?)(実感の違い?)
(まあとりあえずそういう定義なんですね、どうしてそうする必要があったんだろう)
 
 
『言葉は記号じゃない。むしろ言葉はシステムだ。』
記号は単体で物事を示せて、言葉は文脈がないと成り立たないという立場。ふむ。
 
 
『こういう「ど忘れ」や「言い間違い」の例は、フロイトの本にたくさん出てくる。』
言い間違いには訳がある派
 
『これを単純に、言葉の音楽的な側面とか、意味を越えて感覚に訴える、とか言って欲しくないんだなあ。』
なんかムカつくなあ笑 なんでだろ
 
『「音に意味を従わせることの快感」』
ふむ
 
フロイトは、こういう駄洒落みたいな例をいっぱい出してきて、こういう機知によって語られることには、ふつうなら抑圧されやすい内容が、チェックされずにすっと出て来やすいのだと主張する。こうして抑圧を取り除くことは、緊張の解放につながり、笑いをもたらすわけだ。』
ほうほう
 
 
『「笑い声」のSEね。ギャグがおかしくも何ともなくても、笑い声がかぶさると、ついクスっと受けてしまう。日本で言えば、わざとスタジオのスタッフの笑い声をいれるとか、あと最近では、うっとおしいほど定着した、字幕によるセリフの強調』
あ〜〜〜〜
あれはなんなんだろうって思ってた、私は物心つく前から周りに同調してるのかと焦ってたけど
一理ありみ
 
『笑いの機能として、「文脈の衝突、ないし転換」』
ふむ
 
 
なんつーか、今はゲームの設定とか、この世界ではこれはこういうルールなんだよとか、
ファンタジーにおける設定とか、そういうのを聞いてる段階なんだなと思。
(それをインストールするのがえらい苦手なのだけど。
実感が伴わないことについてはめっちゃ時間がかかるというか)