”一人交換日記”

2018/12/23 Sun.

 

ますだを読んでいた。

初めて読んだけど、面白いな。

インターネットって感じする、とても

 

日本ブログ界隈ではじめて?の殺人のことを追っていた、

発信することでもし反感を買ったりしてそうなるんだとしたら怖いと思って

経緯を知りたくて探した、結局そうではなくて

袋叩きに遭い居場所がなくなってしまったための、と

ログを追っていた人々によって分析されていた

 

もし団体の中で罵詈雑言を撒き散らしていた人がいたとして

申し訳ないけど、と言ってその団体から排除されてしまう、

それを私たち(?)の日常感覚では「致し方ない」としてしまうけど

そうしたらその人は一体どこへ行けばいいのか、

 

でも確かにその人とコミュニケーションするにはかなりの体力がいるだろう、

それをそこの人たちだけで引き受けようとすれば中の人々が疲弊してしまうかも、

だけどそういうコミュニケーションスタイルを変えたいと望めるのは本人のみで

他者はそれを変えられない、としたら必要とされているのは何、仏(何を言われても動じないこころと人間への慈しみを持った仏系人間)?

 

「古くからのネット作法『スルーせよ』が今問われているのかも」

「殺意の表明、殺人予告とも取れる内容を書くことを何度もする人を放置せず、医療に繋げる仕組みをつくる必要」

確かにある気がする、でもそれって逮捕するってこと?強制的に診察を受けさせることってできるの、そして医療でそれが解決できるのかもわからない(2つ精神科行ってみて全然なんかあてにならない感じしかしなかったいい医者に出会える確率

 

***

 

そして癌で夫を亡くした方のブログ(というかハイク)を読んでいた。

こんなに好き合っている夫婦がこの世に存在するんだってことや、

末期癌の日々、

どれだけ幸せでもこうやっていつか終わってしまうこと、

 

こんなに人から愛されるという事象がこの世にあるなんて知りもしなかった、

そしてその愛をくれる人がいなくなってしまったらしらなかった以前よりもっと苦しくなるのかな、それとも身体に刻まれてとどめておくことができるのかな、

 

(そうだっけ、物凄く好き合ってたこと何年もあったのに、

私は忘れてしまう、終わったらそれはなかったのと同じなのか、

私の記憶力によるものなのか、)