”一人交換日記”

2019/6/19 スケッチ facebook and i
 
 
たぶん、SNSというコミュニケーション方法が、合わないのだと思う
 
SNS
『ほかの人の「恵まれた」境遇』『努力や利他的な行動』を目にし続けていると
自分が持っているものに満足できなくなる
私はあれも、これも持っていないと、ないものを欲するようになる
ひとりでいれば自分の境遇に満足していられるのに、
自分についてもっと知りたいと思いそれを恥ずる必要はないことがわかるのに
『私はなにもしらない、もっと外に目を向けなければ、私の対外的な価値を高めることはできないんだ
自分だけに興味を持っているのは恥ずかしいことなんだ』と思わされてしまう
 
 
▼それが目に入るタイミングをコントロールすることができない。
フォローを全部外したからタイムラインには現れないけれど、
本当に望んでいるとき以外(ただ寂しいとき)に他の人のページを見てしまって、
もっと寂しくなったり、持っているもの(才能、感性、努力できるという能力、友人、)を羨んだり、
苦しくなることが圧倒的に多い
 
 
▼その人という物語を読むのは、直に会うときだけでいい。
 
 
▼陽のSNSでは人は
選りすぐられた「もっとも良い場面」だけを載せている
それを超える悲しみや苦しみを持っているかもしれないけれど
それらをそこに載せるのは「ふさわしくないこと」だとされているから
載ることはまずない(私みたいな空気読めない人が記事を書かない限り)
そのアンバランスさに常に気づいているのはとてもむずかしい
世界の良い部分、片側だけを見ているのにそれを忘れて「みんなすごい」「わたしはだめだ」
と思ってしまう