”一人交換日記”

2019/3/31 スケッチ 自閉と思ったら自閉と思えて来る
 
 
今日も全体としてはとても楽しかったけど
いつもつらくなりがちってポイントをメモ
 
・不適切(?)な発言をする
多くの人にとっては微妙なラインの話をしてしまう
わざわざその話せんでええやろって感じの
何返せばいいかわかんなくて反射的に変なこと言っちゃう
 
・言葉が言葉として認識できない
名前で呼びかけられて、何を言われるか予想がつかなくて緊張して、
単語を最初音節で区切れなくて
数秒目を白黒させてしまった、、
 
・目を合わせるのが怖い
目を合わせるのいつもは比較的できるほうだと今まで思っていたけれど
その日持病のアトピーが顔にひどく出てたというのもあるけど
緊張する、顔がこわばってる気がして余計緊張して顔が引き攣る(気がする)、
誰の目を見ていればいいかわからない、目が合わないように必死で今自分の方を
向いてない人の顔を見る、どこにも視線の逃げ場がなかったら視線を落とす、
チックみたいに目をしぱしぱさせてることに気づく、
都会のカフェでテーブルが小さくて目の前の人が物理的に近いとさらに緊張する
 
***
 
そういうすべてを「気持ち悪い」「コミュ障」
「だからお前はどこへいってもいじめられる」
ってスティグマに感じていたから
発達障害のこと自分ではどれに一番近いと思いますかって問われて
ずっとADHDをはじめに挙げて、
自閉っぽくもあると言いながら心のどこかでASDを否認していた気がする
ずっと「集中できない」だと思っていたものも、
「外界の音や光に気を散らされる」のでなく
「自分の中の思念によって(四六時中考え事が頭の中を巡り止めることができない)
目の前の現実の認識を邪魔されて結果集中できない」
であったのかもと思う(もちろん思考の多動とも言えるが)
 
自閉であることは恥ずかしいの?
そんなことないって、思いたいけれど、
 
***
 
あの人は、『そうやって「あれも」「これも」自閉の特性なのだ、と
当てはめ続けて、ノイローゼになった』のだと言っていたな
『だから今は、何も考えないようにしている』と
 
『私は24時間思考が止まらない病気なの』
叫びのようなその言葉が時々脳裏に蘇る
 
春が来たけれど、元気にしているかな
支え合いたいけど、なかなか自分のことでいっぱいになって
喧嘩別れして、一年が経ってしまった、早いものだ
 
ものすごく似ていたから、すごく深くまで一気に話して、
1週間毎日一緒に話して食べて寝て過ごして、
でもだからぜんぜん違う部分に到達するのもあっという間で、
一番信じていることについて真っ向から対立して、
すごく憎しみを感じた、泣いた、手が真っ赤に腫れ上がるまで毎日掻き毟った、
 
わかりあいたいと思った、
今まで感じてきたことも経験してきたことも全然違って、いまから
わかりあうことなんてできるの?無理じゃない?っていう絶望を何度も感じた
どうなったらわかりあったって言えるのか、
私たちそれぞれの背景は違って、信じていることも違うけれど、
口先だけで「あなたの考え方もいいよね」って言うだけじゃわかりあえたとは思えない
(もちろん真っ向から否定していた頃に比べれば進歩ではあるけれど)、
上っ面でなくほんとうに相手を「受け入れる」って、どういう状態のことを言うのだろう