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2018/12/7 Fri. 誰にでも公平に優しい人
『浅瀬の海みたいに適当に好意を抱かれていたらよかった』『「好き」ということが、社会や関係性に発展すべきものだという発想がもう憎いんです。私はもっと無責任で無根拠で、なんとなーく、微笑みで見つめてもらえる程度のそういう「好き」がほしいのです。』
きみの優しさはまさにそんな種類のものだったね。どうにもならないその曖昧さがとてもすきだった。適当に喋っているときみは云った。背中を撫でてくれたのも、一瞬抱き寄せてくれたのも、きみの適当さが成せた術。その場限りの優しさ、それは僕がこの夏からずっと求めていた、至高の形態。
『誰にだって優しい子が、誰を好きなのかはわからない。』
私の初めての誰にでも優しい子は、初恋の女の子。まるで好いてくれてるかのようにすごく親切にしてくれる、時期が過ぎたら他の子のことも同じように甘やかしていて、あ、あなたは誰にでも優しくできる人なんですねって知る。それからだ、誰にでも優しくて、けして私のことを好きではない人を好きになってしまうようになったのは。
『彼女の優しさには、「好き」はなかった。「肯定」ではなかったんだ。それなら私は、何をもらっていたのかな。』
『人と向き合ったなら、好きか嫌いか選びたいのだ。私は、そして好きな人たちとだけ接していたいのだ。お子様ランチみたいな世界観でまだ息をしている。』
苦手な人ともやっていけた方が、生きやすくなると思うけど、と言われて、そうしたい気がすることも時々あるけど、でもやっぱり嫌、っていうのが本心なのかな、話したあとすごく苦しくなったのは。だからちょっと、こうでも良いのかなって思えて嬉しかったよ。たしかにお子様ランチみたいではあるけど、ね。
『だから、今も期待している。たとえあとで失望しても、恥ずかしい目にあったとしても、優しくされるたびに、ちょっとは好かれているのかな、と期待するのをやめずにいる。どんなにその人が誰に対しても優しくて、公平な人だとしても。』
だから私の好きになりがちな人は、「誰に対しても公平に優しいひと」。ちょっとだけ好かれていたらいいなと思いはするけれど、それは勘違いなんだよと常に自分に言い聞かせている。それでも気付けばもう取り返しのつかないくらい好きになっていて、大火傷してしまう、私の膚にはくっきりとその跡が残っている、
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にているところ、ちがうところ、でもにているところ、をかいた
最果タヒ 連載”コンプレックス・プリズム” 06.優しさを諦めている。
http://www.daiwashobo.co.jp/web/html/prism/vol06.html
『』内は引用