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2018/11/18 Sun.
午前ひとりでなんかすごくまったりしてたなー
午後になって引っ越し準備手伝いに出かける
多少箱詰めした、タスクを整理した、
ちょっとおなかすいたなって王将に行って、
しこたまビール呑んで食ってしまう笑、
私散々節約なんだかんだって言ってたけど、
金を持った瞬間たぶんめちゃくちゃ浪費するなって言ったら
私をよく知る君は「そうだと思うよ」と言う、ああそうだろうねー
しかも反権力とか散々言ってきたけどたぶん人の社会的地位にも金にも弱いんだよなあって思ったら
ほんとに今までの信条とかってなんだったんだろうって思うわ
一度どっぷり権力の美味しさに溺れて、そっからどうやるかなのかなー
ヘルマン・ヘッセの『ブッダ』みたいな、一度放蕩の限りを尽くしてから修行に入るみたいな
もうね、マイノリティのこととか考えるのも面倒くさくなっちゃったの、
ずっと人のこと批判し続けるのも、他の人の人生否定するのも
そうやって「私たちを差別してる!」「権利を認めろ!」って痛い痛いって叫び続けるより
自分が幸せを感じようとすることのが先だって(まるっきり彼女が言ってたことそのものを私はいま鵜呑みにしているのか)、
でもその結果として、気持ち良さを識ることはできたけれど、それは特定個人依存型の幸せだった
「どうしてそんなふうになっちゃったの?」闘うの疲れた、何と闘えば良いのかわからなくなった、
そしてある人ともう一人に骨抜きにされちゃったの。いとも簡単に。自分の信条手放してしまうくらいに。
「アイデンティティがない」そんな莫迦莫迦しい、って鼻で笑ってた私は、もういない
骨抜きにされる、って面白いんだよ、
「気骨(信念を曲げない強い気性)や節操(自分の信念を守る)をなくさせること」
らしいんだけど、今の私はまさにそれだ。
身体はこころの最後の砦、って誰かが言っていたけど、
本当にそうだ。
倫理とかの問題じゃなくて、自分のこころが簡単にがらがら崩れ去ってしまう。
***
結局作業はちょっとしか進まなくて、
すこしだけ洗濯しにコインランドリーに行って
深夜の住宅街を徘徊する、
最後の夜の散歩、
団地の公園のベンチに座って、今までで初めて聴いた話を聴く
最初の彼女の話
そう私の知らないきみはまだまだ無限にたくさんあるんだ
でもそれが見えなくなってしまうということ
切り口がいつも同じになってしまうということ