”一人交換日記”

2018/11/21 Wed. 最近のこと

 

先週くらいに、鶴見さんの完全自殺マニュアルを買った。

久々に本格的に憂鬱だなってのは丁度2週間前の今日に感じた

その翌日の断片的記録にはこう書かれていた

 

***

 

「正真正銘のメンヘラ」

ついに言われてしまった。

私はいつだってそのすれすれくらいを生きていて、

ほんの僅かでもバランスを崩せばすぐ”そちら側”に『落ちる』だろう、

そして昨夜私はそちら側に行ったのだ、

 

***

 

そう、帰らなきゃいけないのに家に帰りたくなくて居座って、

「帰らないなら僕は漫画喫茶に泊まる」とまで言わせてしまって、

待ってどうしても誰かに一緒にいてほしいんだ、(行ってしまうのなら死んでしまいたい)

と小声で口走ってしまった、あの夜。

そうまではならないようにってこの4年気をつけて気をつけてやってきたのに

最後には遂にやってしまったね、

 

君に全存在を肯定してもらってなんとか僕は息をしてた、

そんなことすら僕はなんもわかってなかったんだ

ちゃっと別れてどっか旅してまた新しく恋して、とかすれば全部解決するんだとか思ってたけど

全然そんなふうに簡単にいかなかった、

東京に戻ってもうすぐ三ヶ月が経つ

君の恋も、僕の恋もそれぞれに上手くいかないまま

 

 

割と毎日泣いていて、戻らない幸せと、新たに知った快楽に執着して

落ちに落ちてもうどこにも行けないなあ、本当にどうしようもなくて

恋しても届かなくて、自分の存在にマジで価値がないとか思い始めて

動く気力すら失われてしまったんだ、どこにも行けない、どこに行っても私は私のまま、

私が面白くない人間だからどこに行っても面白い体験なんてできる訳ないって

素敵な人々にも興味持ってもらえる訳ないって、思ってしまって。

 

袋小路感、身体が動かない、やりたいこともできない、

ただひたすら泣くだけ、どこか遠くへ行って消えてしまいたいと願うけど

それすらできなくて

死ぬところを少しでも具体的に想像できたら少しは、

生きてるのがどういうことかもう少しリアルに感じられるかなって思って、買った

買ったけど、まだ開いていない

 

同じく丁度2週間ほど前、キリンジの『Melancholy Mellow 甘い憂鬱 I, II』を初めて聴いてから

ずっとその2枚のアルバムを聴いている、眠っている間以外ずっとずっとリピートしてる

今の憂鬱さに最高に合っていて、私が今までずっと聴いてきた音楽をごちゃまぜに混ぜたみたいな、

憂鬱の快楽の極致みたいな(わたしにとっては)音楽で、

はじめて誰かがいいって言ってるからじゃなくて私が好きなんだって思えたから、記念碑。

いつも好きな人が好きって言ってるか、その音楽家自体の思想がすきだから聴いてた、

音を自分で好きって思って聴いた音楽はほとんどなかった。

『憂鬱はまさにそう!凪いだ情熱だ』

 

僕が最高だって思う物語はだいたいみんな自殺しちゃったり死んじゃう、

そういう最高な形態は生半可には続けられるようなものじゃないからなのかなあ

まあ遅かれ早かれみんな死ぬことは死ぬけれど

 

 

ぜーんぜん、でも死にたい訳じゃないんだ

我を忘れるくらい何かに夢中になりたいってだけだよ

できれば特定個人に依存しない形で

 

ばらばらの非連続の毎日を生きながら、僕は一体どこへ行くの