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2018/10/xx ”悲しみよ こんにちは” 読了
はじめの方の甘やかさがすきだった
身体の記憶を反芻する
『宿命的に放浪者』(林芙美子)
な父娘、野生の馬のように駆け回ることがすきな彼らを
縛り付け「まとも」な社会に統合しようとしても無意味、
「あなたを愛していた訳じゃなかった、
あなたといるときの心の熱さ、親密さがすきだっただけ」
(取り替え可能な身体)
(タヒさん的)
(”誠実さ”)
「私たちは気に入られること以外、
一体何を求めているというのだろう?」
”手に入らないから欲しくなる、それだけ”
そういう、今の僕にとっての真実ばかりが、ここにはあった
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『人は、人でしかない。優しさでも冷たさでも誠実でも不誠実でもない。ただ、その人を、愛おしく思うのか、友達と思うのか、それでしかない。』(最果タヒ、映画「きみの鳥はうたえる」に寄せて)
『本当のところぼくは決してきみを、世界中から選び出したのではないということ
偶然でしかないということが、なによりも稚拙で、いつか死んでしまうぼくたちにとてもよく似合うと信じている』(最果タヒ「帰路の詩」より)