”一人交換日記”

ジャン・コクトー『阿片 OPIUM』(求龍堂, 1972)

 

だいぶゆっくり味わって読んでいたのでまだ半分くらいだ〜
求龍堂版 54頁まで
また借りて続き読む

 


抜き書き:

 


『今日、医学が、解毒治療法の完成にのみ没頭していて、
阿片を無害なものにする研究をしてくれないのは残念だ。』(13頁)

 

 

『阿片の効能は契約の結果だから。万一阿片が僕らに嬉しくなったが最後、僕らはもう逃げることが出来ない。』(15頁)

 

 


21頁スケッチの輪郭線を見て「宇野亜喜良さん!!!」と連想

 

 

『阿片がこの定着用のゴム糊を僕に与える。阿片なしだと、僕には、
結婚や、旅行の予定などというものが、高いところの窓から身投げをする人間が、その前を通過する際に二階三階の部屋部屋に住んでいる人々と交わりを結びたいと願うと同じほどの気ちがい沙汰に思えたものだ。』

(20頁)

 

 


マラルメについて言及. (20頁)

 


『僕は思い出す。十八歳、十九歳の頃、自分を概念で苦しめていた事実を。(中略)僕はただ自分の生命が短いので、そのような歓びを語る時間のないことだけを苦に病んでいた。
 さて、一度それらのものについて語ってしまうと、僕は大いに気楽になった。僕は暢気にものを観るようになった。戦後、僕が云い現わしたいと希うことは、いよいよ特種な世界のこと、稀な種類のことになった。人はそれを僕から奪うことも、先鞭をつけることも出来ない。僕は後を向いて、寝ころんで、落着いて、地平線に他の競争者の姿さえも認めない競走者(ランナー)のように、やすやすと呼吸が出来た。』
(26頁)

 


リルケについて言及。(26頁)

 


ユゴーには、ちと阿片が喫ませたかった。ユゴーには、病気以外何一つ不足がなかった。いや、そう云ってはいけない。彼の病気が彼の光栄を成したのだから。彼は狂人だった。初めは誇大妄想狂、やがてほんものの狂人になった。(彼の残したデッサンや、家具や、いろ恋や、仕事のしっぷりが悉くそれを証明している)』(42頁)

 

 

『あれはいずれ誰かが書くだろうが、僕には自分で書きたくないある研究の摘要だった。詩人の役目は立証ではなく、肯定の原因の雑多な証拠を挙げずに、ただ肯定だけするにある。』(43頁)

 

 

 

『僕はいまだかつて、あれ程のスピードに達したことはない。それは不動の境地に達したスピードだ。』(44頁)

 

 
どこかでも見たことのある、動いてない=疾走、みたいなイメージの結びつきは
なんなんだろう、もうちょっと識りたい

 

 

 

『(前略)また一つの解放でもあるのだ。それは人を、訪問やクラブから解放してくれる。僕はまた付加して云う、阿片はモルヒネ注射の反対だと。阿片は人を安堵させる。阿片は、その贅沢、その儀式、そのランプや火皿やバイプの持つ非医学的な雅味と、甘やかな中毒に非常に古くから伝わる洗練により、人を安堵させる。』(45頁)