”一人交換日記”

2019/5/9 スケッチ 踊り、生きることの不安定さ、彼女からの手紙
 
 
久しぶりに踊った。
 
うねり、這い、転げまわり、腕や脚を限界まで回していると、
筋肉の伸びる感じ、身体を感じる、呼吸を感じる、
中学校の「芸術鑑賞」の時間に観に行ったCATSを思い出す、
あのゆっくりとした全部の筋肉を使っているような猫の動きがとても好きだった、
 
日常は薄氷の上の微妙なバランスの上で成り立っていて、
わずかにずれただけでばらばらと崩壊していく儚いもの、
いつ空から爆撃機が爆弾を落としてきたって
窓ガラスを破って誰かが家の中に入ってきても
不思議じゃないのに、ただそうでない世界線をたまたま生きているだけ、
 
他のことについて不能で、アートだけをやりたいなら
不安定な生活を甘んじて受け入れなければならないだろう、
保障のない生活、
生きることが本来不安定なものであることを思い続ける役割を担うこと、
どんなにきちんと働いてお金も十分にあって安定していても最後には必ず弱り病気になり死に至ること(を思うこと)、
 
死にたくないこと、滅びることのない魂があれば良いのにと願うこと、
 
 
伝統的なもの、権威から完全に逃れようとするとき、他方常に
「確かさを保障されていないもの」
「危険があるかもしれないもの」
「occult(原義は隠されたもの)」とも接触を避けられない、
そのひとつひとつを「他人や多数派や権力によって保障されているかどうかでなく、
自分の経験や感性のみから」判断しなければならない
 
 
暗黒舞踏をやっていたという方と話をしたな
「求める人が辿り着くものであって案内するものでない」という姿勢を感じ
なにを教えてもらったという訳ではないけれど、気になってはいる
ダンスの、踊りの原始的な姿、というようなものを感じて
わからない、もちろんなんらかの伝統を継いではいるのだろうが、
 
踊りたいけれど、どんな踊りが合うのかわからない、と話した、
なぜ踊るの?見てもらいたい?
踊りたいから踊る、がまずは一番大事なんじゃないかな、とその人は言った
 
誰も人がいないときだけ、リビングで、わたしはおどる
 
その人が話していた、古代日本語のこと、ヘンプのこと、
遠い時間、遠い土地で。異世界だったかのように。
わたしはもうすこし「確からしい」世界に戻ってきてしまった、
 
そして生き延びる厳しさにさらされることなく、
人付き合いの煩わしさに悩まされることなく、
画面の向こう、猫を愛でる可愛い少女の気怠いおしゃべりを眺めながら、
仲間思いで射撃の得意なお兄さんの良い低声を聴きながら、
快適で清潔な家の中で、今日は何をしようかと考え、
大したことはできないまま陽が沈み空が焼けるのを網戸越しに眺め時に涙したりしながら、
息をしていることにも気づかないまま
 
舞いながらふと、その貴重さに、久々に思い当たったりした、
 
私は、今ここに生きているんだ、と感じる、
 
身体に戻りたい、20余年アイドリングしすぎてきた脳味噌を一旦停止して身体から始めたい、
とか言い始めてもう一年以上経ってしまった気がする。
速いなあ。困ったなあ。
 
「ありのままでいたかったの」
彼女の叫びが身体に響く。そうだね。私たちはすぐ外界から、影響を受けてしまう。
本質的じゃないことに、世俗的なことに捉われてしまう、
がんじがらめになって動けなくなってしまう。本当はどうしたかったのか。
それを識るには、ひとつひとつ解きほぐしていくしかないのだろう、
ときには誰の声も聴こえないところまで、一旦逃れることも必要なのだろう、