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2018/10/24 Wed.
ECサイトする気にならない~なぜ~
名作(風と木の詩)読み返したり、メッセのやりとりしたり。
夕方出かけて友人とごはん
なんで別れたのーとか
ぐいぐい来られると引いちゃって、
向こうが静かになるとなんか急に好きになっちゃうよね、
あーそれー!とか。
「心理戦だよね結局、その手使われたら
もう誰でも好きになれるんじゃないかって思う」
ほんま、それな。笑 すきってなんなん!
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クィア講座1回目。
印象に残ってるのは「レズビアン・ブッチとトランスジェンダー男性の違い」
の話。自分が完全にFtM自認してたらほんと腹立つと思うけど、
確かに外から眺めたとき
たとえばレズビアンの出会いアプリで見かけるボイ(男の子っぽい”女の子”)の人と、
(ビアンアプリにはいないが)FtMの人とは見た目上区別がつきづらいかもしれない、、
でも自分としては男性なのに「ビアンと何が違うの?ついてないのに」
とか言われた日には本当に、、怒りで爆発四散しそう、、
ほんと、なんでついてねえんだよ、意味わかんねえ、は
こっちの台詞だ、とと叫びたい。
そしてトランス男性への「フェミからの”裏切り者”としての扱い」
の話も若干、刺さる。「正しい政治意識に目覚めていない」
まあ確かに私の場合は、「女性の役割」「”女性”の負のイメージ」みたいなものから逃れたくて
「女性じゃない」と頑なに主張してる部分は大きくて、
そうすると”女性として誇りを持ち、連帯して戦おう”って人たちからすれば
”裏切り”と言われても仕方ないのかあ、とか。
でもやっぱ「私は女性です」とはどうしても思えないんだよなあ。
それは本当に「引き受けられていないだけ」なのか?
でも今回やっと気づいたんだけど、フェミニズムは「女性側・視点」から始まったものなのか。
(名前からわかるだろって感じだけど笑)
今までというかジェンダーセクシュアリティースタディーズとかフェミに
共感したり何度もスカッとさせてもらえる一方で
でも完全に「フェミの人です」とはなれないなーと感じてたのはここだったのかも
対するクィア(理論)は「二元論自体撹乱していこう」っていう指向性、