”一人交換日記”

2018/7/18 10:00

 

「私は働いて自分の食い扶持を稼いでいるのに

なんで彼は親の金でのうのうと何も考えずに生きてるのか」

繰り返し、彼女は言った。

それは彼女自身を縛り付ける呪詛。

 

なんでただ生きているだけでは駄目なの。そんなのって悲しい。

生きているだけで否定され続けるなんて。

でもあなたもそういう言葉をかけられ続けてきたんだね。

直接ではないにせよ、社会からそういうメッセージを受け取り続けてきたんだね。

そんな不毛な連鎖を、やめたいよ。

 

数年ぶりに会った彼女は、私と会ったときの記憶をほとんど持っていなかった。

私は彼女を「中高時代常に一緒に過ごした友人」と認識することがずっとできなかったけど、

それは彼女を大好きで大嫌いだったからなのかな。

少なくとも、3人組のもう片割れの彼女に向ける執着くらい、私のことも愛してほしかったのかもしれない。

実際はそんなことしたらもっとずっと苦しかったんだろうけど。

見放されていると感じていた。でもたぶんそれでよかった。

 

根本から私たちの生き方は違って、

6年も一緒にいたことが不思議なくらい。

だから苦しかったのも当たり前だし、

「彼女にこれこれこういう人間でいてほしかった」「わたしのすべてを受け止めてほしかった」

って思うのも的外れだったんだとわかった。

私が私でしかあれないように、彼女は彼女でしかあれない。

私たちはお互いとても頑固で笑、意見を譲るようなことは全然なくて、

話は(理解を示すポーズを取ってはいても)いつも平行線だけど、でもそれでいいんだ。

「あんたの人生面白いな」って、心から思えるようになれば。

 

私ができない人生を、あなたがしている。

それを私は垣間見て、

そういう人生も良いものだと、矛盾を乗り越えて言えるようになればいい。

どんなに強いと思っていても畢竟儚い生を、抱きしめられたらいい。

 

 

彼女と和解できるんだと思って来たけど、

結局そんな単純にはいかなかったけど、

私は彼女に執着するのをやめている間は楽なんだと学習した。

(当たり前だな。笑)

彼女は過去をどんどん忘れていって、ただ今に生きている。

私だけが彼女の言葉に縛られて、息苦しいなんて、なんだか馬鹿馬鹿しく思えた笑。

「もう一度やり直そう」とか気負うこともないし、

ただときたま会って人生の途中経過を聞く、そんくらいで良いと思った。

 

 

***

2018/7/17

渋谷にて

半年前絶縁を覚悟していたY氏と会うの巻