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2018/7/26 陳果 Fruit Chan『香港製造 Maid in Hong Kong』/ 早稲田松竹
(書く@早稲田戸山キャンパスカフェテリア)
すきなものほど、最早何も言う必要を感じなくなってしまう。
昨日も今日も、こんなすばらしくてうつくしいものに触れられて、
もうどうにでもなってしまえそう。
3人で墓場で走り回るシーンはもう本当に幸福すぎた。
今この瞬間しかない、彼らの生の煌めきは、そこに永遠に刻まれる。
大事なことほど言葉にしたくなくて、
でも記憶は薄れていってしまうから、困るなあ、笑
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ひとつ気づき。
自分の中にも暴力の悦楽があるんだと識る。
仲間を”いじめる”子どもたちにやり返す、
彼らはいくら言葉で言っても再び”弱い”と認識した相手を殴り、いつか殺してしまうだろう。
本当に恐怖によってしか仕返しを防ぐ方法がない、と感じられた。
(こわ。。
普段世の人々が「犯罪者は更生しようがない」みたいなこと言う時と全く同じ論理じゃん。
でもその映像には説得力があって。
しかし子どもたちがそういう行動をせざるを得なくなっている原因、
彼らの精神の安全を脅かしているものを取り除かない限りは言葉などまったく届かないんだろうと思われた)