”一人交換日記”

2018/7/31 ukafe, 国立新美術館

 

暑い。慢性的寝不足と暑さでいつもくらくらふらふらしている。

ぼーっとしてまとまった文章になりそうにない、箇条書きを試みる

 

⬛︎14:30 機会あってルーブル展の特別鑑賞会に参加させてもらう。

・身体障害、聴覚・視覚障害発達障害精神障害などの当事者の方やそのご家族・介助者が300名ほど参加。ひとつの場所にこんなに集まっているところを初めて見て新鮮だった。生きているその身体を目の当たりにするという体験。

 

・展示会は後ろから見ても良いし、何度も往復しても良い。

いつもお行儀よく並んでベルトコンベアに乗せられたみたいに流れながら見るのがすごく苦手だった。

開場と同時に一番最初に後ろに行ってしまえば少なくとも後半を見ている間は人が少なくて快適。

何度も往復するうちにその一度一度で目に止まったところをゆっくり見る、ってやり方は新しくて発見だった。

 

・自閉の子とお母様と、自閉協会の方と、一緒に鑑賞。

「いっしょに」見るってたいへんだー。

すたすた歩く彼についてくのが精一杯で、最終的に迷子になった笑。

早速やらかしだー。まあ素の自分を見てもらうことが大事か、、

 

彼はある友人にとてもよく似ていて、つぶらな目がきらきらしてた。

話しかけてみる。お母様いわく「投げかけられた言葉は理解していて、アウトプットに困難がある」とのこと。近いタイプだー。言葉がかえってくるわけではなくいろいろなところを見ている。どんなふうに話しかけたら良いのかはその場ではわからなかった。ヘルパーさん?はどんなふうに接するんだろうなー

なかよくなりたい

 

・最後にはあきれられてたなー

今朝も思ったけど、たとえば電話で2分間話すだけでも、相手は最初元気に話していたのに最後切るときにはすごく疲れた感じなのよな

そうならない人の方が珍しい

私てそのままでいるだけで人を疲れさせるんだなーって思っちゃう

気に障らないように、間違ったこと言わないように、礼儀正しく、ってとても気をつけて話してるつもりなんだけど、その緊張が伝わって逆に疲れちゃうのかな

 

それと同じ?で今日の解散の仕方ももう一緒にいるのに疲れて早く帰りたいー(次の現場に行きたいー)てのがすごく伝わってきて、つらかった そういうの感じすぎなのかな?私だけじゃなくて他の人たち同士でもそういうことあるけど気にしてないだけなのかな。

 

 

 

⬛︎13:00 ukafeでランチ。担当者さんと自己紹介し合う。

 

・話してて自分のことばっかだなーと自分に引く

なんでも自分に引きつけて考えてて、自分と違う属性の人がどうしてるかとかほとんど考えられてない。

私のようなあり方があまり容認されていないコミュニティに属する人と話すとやっぱつらみが募る

が、せっかく時間を割いてもらったし強制力がないとなかなか継続的関わりを持てないから、可能な限り参加してみようと思った

 

・生きるスピードがやっぱり、はやい、

まったり話を聞き合ったり、人と人としてのコミュニケーションがベースなのかなと思ってたけど、

うーんバイトでお金が発生するのだから当たり前かもしれないけど、「その仕事ができる能力があるか」「ゆくゆくもその仕事を続けていけるか」を品定めされて、、いやほんと当たり前だな、、、でもやっぱそれが苦手なんだな、

あと障害に完全に”理解がある”というよりは、”健常者として支援する”がベースな雰囲気を感じた

 

 

 

・「障害ってしなくてもいいんじゃない」

そう、そうなんだけど、生きづらくなければいいんじゃないって、

わからないんだよな。そこが。ある人たちといれば生きづらくなくて、

ある人たちといると生きづらい。その場にいる人によって決まる。。

今日は微、つらかったけど、まあでもお話し聴いてくれたほうだよね?

でもやはり「聴いてるポーズをとってくれる」のと「受け止められている」感じは微妙に異なるなあ

 

受け止められてなくても、気にしなければいいのかな

でもやっぱり自分を大事にしてくれる人となるべく一緒にいる方が、自分の心身にとって良いよなあ