”一人交換日記”

2019/8/5
「雑な読書メモ」

 

ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会
急ぎ足で読了

 


肉体の悪魔』を読んだときには
(感想も書いていないし何年も前だからおぼろげな記憶しかないが)
もっと激しく苦しんだり甘やかさを味わったりするふうだった気がしていたのだけど、

今回はもっと「感情の機微を精緻に写し取っている」
イアン・マキューアンを読んだときを思い出した)
ものを読むことへの知的な面白さを感じていた気がする

 


解説にも「感情の分析」「心理の純粋な分析を主としたいわゆる心理小説」
というフレーズが出てきてやはりそういう感じなのか、と

 

 

*****

 


人間の分析の仕方が時に容赦なかったり
そこまで徹底的に批判するか、という感じもあった
そうやってこの人は仕様のないひとだから、と除け者にするのを正当化しているのかと疑ったりしたけど
別にそういう訳でもない、あとで心ある人として描かれたりもする


ひとつひとつ喩えが優れていて驚く。
時々流麗すぎて何のことを言っているかわからないときもあるが
(経験が増えたらまたわかるようになることも沢山あるだろう)。
半分くらいは解ったような気分になれた。実際はたぶん2,3割くらいだろうが。


いつも身体の隅の方で漠然と感じていることを複雑な形をそのままに言い当ててくれる、
そういう感じが好きだ。現代文の模試で文章を読んでいるときみたいに。
だからそんなに小説を読んでいるという感じでもなかった。
(もっと刺さったところマークするなりしておけばよかったな。
読み通すのに必死だったというのもあるけど。とりあえず読み通しただけって感じ。)
(後半は流れがより解る感じだったからすらっと読めた)

 

 

*****

 


物理的に離れていたら心はずっと楽だということ、
『二月のあいだ彼女とはなれて生活することをがまんした彼だが、
すぐ身近かにそのひとを感じている今は、その日のうちに会えないということは、
気絶でもしそうに苦しいことなのだ』ということ

 

 

*****

 

 

『(あのひとといっしょにいて、あたしなにも感じないもの)と思うのだった。これこそ幸福の完全な定義ではあるまいか?幸福も健康とおなじようなものだ。それとは気がつかずにいるものである。』

そ、そうなのかなー。
健康は確かにそうだけど。
相手が空気みたいに感じられる。
少なくとも一緒にいて気詰まりだったり(もう一刻も部屋に早く戻りたい)とは思わない、
それは打ち解けているということ、

「私は今幸せだ」と自分に言い聞かせているのはほんとに幸福ではない、
という立場からすると確かにそう