”一人交換日記”

2018/7/25 新宿イーストサイドスクエアにて書く

(水辺があって、蝉が鳴いてて、日陰になってて風が通って、とても良いnomad場所☺️

 

”母校”の先生に卒業生2人とともにお話を聴いてきた。

最初はその学校のL/B/T当事者の学生が住み良い学校になるためにどんなことできるかなーという話をしに行く予定だったけど、お話は多岐にわたって、すごく面白かった~。めちゃきつくもあった。

 

順序とかわからんから思いつく順に。

まとめる気もない🤤

わからないことはわからないままに書く🤤

 

 

 

・先生たちはすごく忙しい。

みんな過労死ラインを越えて残業してる(月100時間とか)。

 

進学校だから、”学力が何より優先”。

今は発達障害が疑われる生徒が3~4割いて、その対応だけでも手一杯。偏差値もどんどん下がっている。「LGBTは優先順位低い」

 

・確かに特定の集団を優遇するのは「不公平」なのか?

というのはここ1週間くらいずっと「差別語」のことを考えていても思ったこと。「誰の問題(の解決)が一番優先されるべきなのか」

「みんなそれぞれの困難を抱えているのに、LGBTは注目されすぎてずるい」みたいな感情が起こってしまうこともあるのか?

 

・教育は「政治的であってはいけない」?

まずジェンダーのことは常に政治的であるしその必要があるんだと思ってきたけど、そうではない?

そして教育の中で生徒の政治的な指向を決めてはいけない?

でもなんらかの意見があるってことと政治的に中立であることは両立できるんだろうか。。。

 

 

・成果を出した人間(卒業生)じゃないと、話は聴いてもらえない?(母校での講演会は開けない)

私の通った中高においては、社会的地位が重視されている、どこぞの馬の骨の話はなかなか聴いてもらえない

 

・「恋愛は教育の範疇に含まれない」?

「学校でそもそもいちゃいちゃするのは好まれない。」まあそれはそうなんだけど、、、うーん、どこが違和感なんだろう

でもいちゃついてるのってそんなにいけないのか、、、?いつも人間関係ドロドロでそれが他の全て(勉強/部活)に悪影響を及ぼすからなのか、、(でもそんなん水面下ではいっくらでもあった気がするが。)

「恋愛は隠されるべきもの」は先生の持論にしても、、、

 

”お勉強”が全くできなくて、部活もうまくいかなくて、友達もいなくて、恋が学校生活のすべてだった場合、そこが上手くいかないとき精神に100%負担かかってくるんだけど、、、(ふふ、、、特殊な事例なのかなぁ、、、)

 

恋について先生に相談しちゃいけないの、、、?

「それは”プライベート”に関することで”学校生活とは関係ない”」

先生たちはそうかもしれないけど、、、生徒はどうなのかなあ、、、、

私はすきな人に会うためだけに学校きてたよ()

うーん、書けば書くほど私は特殊な例かもしれない

 

 

 

・教育において性がタブー視されていることそのものはまず問題。だからまともな性教育も為されない。「デートDVのことを校内の講演会でやるだけで波紋が広がる」くらい超超超保守的な学校だったということを知る。

 

学校って人間関係を学ぶ場じゃないの?恋愛に教師が介入する必要はないと思うけど、、全く無視するのも不自然なのでは、、、

 

 

・「恋愛は教育範囲に含まれないから、性的志向も学校で取り扱うことができない」

性的指向のことを恋愛のことと切り離して考えるべきだと思うけど、そこの論法をどこかで学びたいなと思った

 

 

・「結婚して幸せになる」

それ自体も疑ってほしいな〜〜〜

「結婚してない人にはわからないと思うけど」とかそれ自体も、、、相当、、、、、

いやするつもりもございません、しない方がいいと思う理由をあなたは知ろうと思いますか、、当たり前にしないよりする方がいいと思って人に伝えるのは「押し付ける」に似たことだと思うのですが気づいていますか、、、、

 

 

・「マジョリティに合わせた授業をするしかない」

多数派に届く言葉の使い方をするしかない?

こぼれていった人はどうしたらいい?

そういう保守的な学校は自分から辞めてフリースクール/ホームスクーリングに変えた方がいい?

(実際そういう子もいた)

 

 

・障害という面からはとても積極的にアファーマティブな(格差是正の)行動をしてらっしゃると感じた

のでその方面の話をもっと聴きたい気もした

以前も「死にたいと言っている学生の面倒を色々見て、一緒に歌舞伎見に言ったりとか色々した」話をしていて、彼女がそこまで人のために(特に精神障害関係の)できるのはなぜか背景が気になった

 

 

・「生きづらさ」で笑ったのはなぜ、

範囲が広すぎる?

 

 

 

***

 

 

 

そう、私はこういうことに傷ついてるんだよねと話して、「だから何?/私がなんか悪いことした?/私には関係ないんだけど/被害者意識の塊だね?」って言われるのが怖かったんだ。

私は傷ついている、と発話することはイコール相手を責めることなのかな。なんで相手は責められていると感じるのだろう。

逆に「当事者じゃない」(SOGIという側面から見たら当事者じゃない人なんてこの世のどこにもいないけど)人が関心を持って、自分ごととして考えてくれるようになるのはなぜなんだろう。どうして共感するようになったのだろう。

 

 

 

そして違和感すべてを書き連ねたところで、そのすべて(たとえばありとあらゆる言い方、言葉の使い方すべて)を伝えることも不可能だし、伝えられたところで全部了解して全部変えてもらえるわけもないし、それをあらゆる人に要求するのも(親しい人に頼むのだってすごくハードルが高い上に、もう何度も何度も失敗してるのに)到底不可能だ。

 

 

そういうことを考え始めると胸がいっぱいになってしまって、もう面倒臭過ぎて深い森を彷徨って迷子になって消えたいとか夢想するけど、まあでもほんとは死にたくないからとりあえず新宿を歩き回る。歩いて、呼吸に集中して、じっとりした空気を肌に感じようと意識する。泣きたい、吐き出したいと思うけどとりあえず歩く。