”一人交換日記”

 読書記録 貸出日 2019年7月9日分

 

 

 

 

 

 

植草甚一『ワンダー植草・甚一ランド』『いつも夢中になったり飽きてしまったり』

 

これらだったか『植草甚一日記』だったか定かでないが、
ロリータの話が出てきて思い出してロリータの映画をようやく観れた。
それと昔銀座にあったという海外アート出版物に強い本屋の話を見ていて素敵と思い現在東京にあるアート系、写真集に強い本屋などを調べて行くようになった。下北沢クラリスブックスとか。
いつ読んでもどんどん派生していって楽しい。
植草さんみたいになりたい〜

スクラップの感じもかなり参考になった!
1ページ1トピックのみにするとか、ゆったり使って良いんだと思えるようになった
あとから見返すときその方が格段に見やすい

 

 

 

▼ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会


コクトー愛弟子のラディゲ、肉体の悪魔も面白かったしどんな感じかと読んだ
どろどろさや苦しみの甘美さ、とかを期待していたけど
意外とあっさり、心理描写は緻密だけど湿度高めじっとりな感じではなかった
肉体の悪魔ももしかしたらそうだったのかな?10年以上前で覚えてない)

 

→別日に書いてた 8/5読書メモ参照

 

 

 

コクトー『阿片』(求龍堂版)


まず求龍堂版の装幀やレイアウト、紙の色味や質感が好きだった
表紙には確か絵が貼られていて、
活版印刷の感じ、大判本でたっぷりスペース使った配置。

コクトー自らのスケッチ。線は漫画のペン(Gペン?)のようなはっきりめの線で
さらりとしているのにグロテスク


阿片をめぐるコクトーの思い巡らし 短文の集まり
どんな思考回路してたらそんな喩えが思いつくの??の連続で圧倒的
全然わからないことも多いけどまずは響いた文を抜き出してみることにする


→8/15のメモ参照

主に抜き書き

 


▽▽とくに覚えていたいの再掲▽▽

 

 

『僕は思い出す。十八歳、十九歳の頃、自分を概念で苦しめていた事実を。(中略)僕はただ自分の生命が短いので、そのような歓びを語る時間のないことだけを苦に病んでいた。
 さて、一度それらのものについて語ってしまうと、僕は大いに気楽になった。僕は暢気にものを観るようになった。戦後、僕が云い現わしたいと希うことは、いよいよ特種な世界のこと、稀な種類のことになった。人はそれを僕から奪うことも、先鞭をつけることも出来ない。僕は後を向いて、寝ころんで、落着いて、地平線に他の競争者の姿さえも認めない競走者(ランナー)のように、やすやすと呼吸が出来た。』

 

 

 

 

『あれはいずれ誰かが書くだろうが、僕には自分で書きたくないある研究の摘要だった。詩人の役目は立証ではなく、肯定の原因の雑多な証拠を挙げずに、ただ肯定だけするにある。』