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2019/7/18 『一年』 スケッチ
日記はじめて丁度一年が経った
もう半年くらい上げてないけど、、ちょこちょこスケッチ的断片を書いてはいる
最近は専ら紙のノート 手で書くことが大好きだったって思い出して
あと稀代のスクラッパー・植草甚一さんを識って
ほんとになんでも貼り付けていいんだ、何分の地下鉄何線に乗ってどこに行ったかまで書いていいんだ、
私にとって美しかったり大事であればそれはゴミじゃないって
思っていいんだって思えて、スクラップ熱が再燃
頭の中に留めておかないでとりあえずアウトプットする実験を11日くらい前からしてる
(大抵のものは1週間で飽きるけど、1週間は越しているな)
やっと膨大な量の興味を
今までは片っ端から忘れ去ってすぐ「私は何にも興味ない!」と落ち込んでいたのを
少しずつ繋ぎ止めて、すぐ飽きたりしながら
ちょっとずつ読んだり書いたりできるようになってきた
のかな、調子悪い日はやっぱり忘れちゃうのかもしれないけど
8年くらい忘れてた「人体を描きたい」ってのいうのも思い出してちょっとできていた
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コンサートや展覧会もほんとにほんとに行きたいと思うもの以外行くのをやめた
絵だったらまず作家の画集を借りて見まくって原画がどうしても見たいと感じるかどうか判断する
前は誘われるままにとかちょっと興味があるかな?と思うものは興味を広げるために、と思って行っていたけど
そのやり方は私には合っていなかった、
興味ないものに無理に興味を持とうとするっていうのは私みたいな自閉タイプの場合?
ほんとに時間と労力の無駄だし、なんなら反発しちゃって物凄く消耗するし、
自分がやりたかったこと、好きなもの、響き合う作品とかは確かに存在するのにそのことを忘れてしまう
自分を全否定しちゃう
「好きでもないものを 好きになってしまった
そしたら心を 壊されかける道化」
(cosMo@暴走P『空想庭園依存症』, 2009)
その一方でもちろんサークルとか強制力があって新しいものを結果的に吸収できたのはよかった
ずっと一人でいたらジャズも絶対聴かなかったなあ
でもそれはめちゃくちゃ濃い時間を過ごしたから成し得たことで
ちょっと一回遊びに行くとかでは得られないもの
そして人(どんなに近しい人でも、)といると
「最低限迷惑にならない」ようにするので精一杯になって(それだけではないなあ、だが一因として)
何を言いたかったか何をしたかったか何を好きだったか忘れる、
だからひとりで部屋でなにが好きだったかを思い出すために、
毎日ひとつひとつつまびらかにしていっている