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2019/3/5 ふりかえる
去年7月、ホン・サンス作品を見続けていた。
その時は全然感想書けてなかった気持ちだったけど、
見返すとちょっと面白いな。
どうしたいかはわかっている。
あとはそれを実行できるかどうか。
私はまだ、すがり続けているな、だから東京を離れられないし、
新しいものにも出会うことができない。
”寂しさ。
どんなに自分が一人の相手にのみ心と身体を捧げようと、相手の気持ちが離れるときは訪れ得る。永遠がないことを識ってしまった人々は、(見返りを求めず身を捧げる覚悟をしない限りは)寂しさに従って果てなき放浪を続けるしかない。約束など心の移り変わりの前には無。”
”どうにもならないな。取っ替え引っ替え。
未来などないってことを私はずっと肯定してきたつもりだったけど、ちょっと憂鬱になるよ。”
”繰り返す、「今日だけよ。一緒にいる今を大事にして。感謝して。それがすべて」
それが誠実であるということ。保証できない未来を約束するより。”
”愛しているなんて言葉は元々、軽すぎる。”
”ただ通過していくだけ。そのとき一瞬燃え上がり、そして忘れ去る。”
”「覚えていないんですね。」なにひとつ。
あなたとともに私は、そこにいたんだろうか。”
この不倫についての映画を見ているとき、
私は世の中的な言葉で言えばあなたと”浮気”をしていて、
そしてあなたは本当に、私とこの映画を観たことを忘れてしまった。
それが、私たち気分屋なりの誠実さで今を一番大事に生きることの、
ひとつの現実でもある。私は忘れるし、忘れられる。
長いスパンで見れば誰だってそうだ。忘れにくい人もいつかは忘れる。
その痛みで懲りてしまうようじゃ、気分屋を続けるには
幾分向いてないのかもね、とも思うけれど。