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2018/7/24 井の頭公園、昼飲み
いかに自分が物事の表層しか見てないかってことを思い知らされた。
それはいじめだね、人の持ち物をゴミ箱に捨てる嫌がらせとか小学生かよレベル低いな、とか言っていたけど。
もしかして好意があるからその裏返しなんじゃない?なんて。
そんなことすぐに思いつかないよー。笑
自分は嫌われてて、人は悪意から動くんだってことを長く信じてきた人間にはなかなかすぐできる発想じゃないけど、でもその方がすっごく面白いし何より愛がある。笑
その人とサシで話してみれば?とか、まさに修復的司法(たとえばヘイトスピーカーと被差別者とが対話してそのコミュニティの修復を図ること)の実践で、私はそれを理想としてたけど自分が当事者としてやることは全然想定できてなかったんじゃん、と解る。。。
私は、すべての人がパンセク(全性愛)でXジェンダー(どちらでもない性別)であってほしいと、強く思ってたんだなと改めて自覚する。以前そういう性質を持つ人同士で「世界すべて自分と同じであってほしいなんて、危険思想だよね」と笑い合っていたけど、私は本気でそう思ってたんだな、と。
差別がなくても性自認がどちらか一方(男性/女性)になる人はほんとにいて、それはそのままで私は受け入れる必要があるのだと。
でも同時にその「線引き」は常に揺れ動いていて、ずれていく可能性を秘めていることも、また本当だ。だから私は誘い続けたい、「あなたはほんとにそこにいて満足なの?それはあなたの”真の”姿なの?あるいは真の姿なんてどこにもなく、あなたはどのようにもなれるんじゃないの」と。
少なくとも「マイノリマジョリテを見て」を書いたときよりは幾分実感が深まったんじゃないか、と思ったけどこのときもわかったつもりで言葉を並べ立てているな。。。笑
まあ己の身になるまで、何度でも体験しよう。
そういう発想の転換ができる人と、実際に会って話してみよう。
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狩猟。
その人の狩猟の動機を聞いていて、私は狩猟をなんでしたいんだろうと思う。
「わたしが食べている肉、それがあの牛や鶏や豚、”生きている/た身体”であるということを、フィジカルに感じたい」
動機が既に頭でっかちだけど。笑
私は屠畜場で働く人たちを「残酷な奴ら」と差別する人たちを憎んでる、と単純に思ってたけど
でも私はその牛の喉仏がナイフの切っ先で切り裂かれるとき、本当に痛みを感じてはいなかったのか。
その牛のことを「可哀想」と思う瞬間が1秒もなかったのか。
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酒量。
ゆるやかに増えている。
1日夜一食だったのが、お酒飲めばお腹が満ちてしまうから、食べなくてすらいられてしまう。笑
空きっ腹だったらビール2,3缶程度でもほろ酔いになれちゃうとか言って、やばいな。笑
それに煙草が加わったら、もう最高。
広くて誰もいない林の中で喫っていると、永遠にぼーっとしていられる。
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井の頭池の前で、おしゃべり。
日が傾いたとはいえ15時、まだ蒸し風呂のような暑さの中で、
ビールを飲んでいると、自分と空気との境界が融け出し始める。
「風とはもうやってるも同然だよ(谷川俊太郎)」ってことばが、最近よく頭の中でリフレインする。
世界の色味が変わって見える。
ひとつしかないと思っていた見方に別の解釈が加わる。
それはとんでもなく刺激的で、もう行き止まりだと思ってた私の迷路に抜け出す活路を与えてくれる。
(そう思うのは今この一瞬だけかもしれないけど、それでも良い、人生はその繰り返しだ、)